CHC
ハイキングクラブ

低山から百名山まで体力に合わせて
参加できます
ご入会・ご連絡
コラムを更新いたしました。

2025年度の活動記録写真

名前に※付き写真をクリックすると解説があります

CHCハイキングクラブの山行について、
今期から花★コースが出来ました

CHCハイキングクラブは会員相互の親睦を図りながら、登山・ハイキングをとおして心身の健康増進を目指し登山・ハイキングの正しい知識・技術を身につけて、併せて普及啓蒙により社会貢献することが目的です。 日本スポーツ協会公認山岳コーチもおります。
「山に行こうよ 山ってやっぱり楽しいよ みんなにみんなに知らせてあげて 山ってやっぱり楽しいよ」(田部井淳子さん)

自然を楽しみながら、登山・ハイキングしませんか? 年齢・経験は問いません!初心者の方も大歓迎です。
みんなで楽しく歩き、季節の景色を満喫しましょう!
登山の基礎から学びたい方も、すでに山登りを楽しんでいる方も、 一緒に楽しく活動しましょう!
会員の皆さんは自分の体力、希望の山、ご自身の都合等で定例山行に参加をしています!
ご興味のある方は、お気軽にご連絡ください!

# レベル ランク 1日の行程 備考
1 花★ 誰でも 2時間から5時間程度 季節の高山植物を愛でるハイキング
1 初級者 5時間前後 岩場・鎖場少ない
2 ★★ 一般 6時間前後 岩場・鎖場有り
3 ★★★ 健脚 6時間超 岩稜・ロング・ルートファインデング必要有り

月に2回~3回の山行をレべル別で実施しています。チャーターバスでのゆったり山行がメインになります。

創立2006年
栃木県山岳連盟加入

コンセ-レハイキング講座終了で受講生が立ち上げたクラブです。 安全に楽しく登山やハイキングするために活動計画と役割分担があります。(一社)栃木県山岳・スポーツクライミング連盟の講習会なども積極的に参加を勧めています。みんなで協力し、役割を分担して楽しい山行にしましょう。

JMSCA 山のグレーディングを知りたい方はココをクリック

Step by step

観天望気・応急処置ができるようになりましょう。わからないところがあったら先輩方に聞けば教えてくれます。自然が好き、山が好き、花が好き、健康のため、いろんな方の参加をお待ちしております。

コラム

山への感想や、日頃の思い、クラブへの希望、諸々の想いを紹介します。

CHCハイキングクラブを卒業するにあたって

入会して20年間


この度私は、心身の衰えを痛感しCHCを辞めることにしました。入会して20年間、多くの山に登り、苦しみながら楽しんで、沢山の思い出を心に刻みました。お陰で人生が豊かになりました。有難うございます。辞めるに当り木曽駒遭難記念碑のアナザーストーリーについてお話します。
私は新任校長になる時、先輩校長から新田次郎の「聖職の碑」という文庫本を頂きました。一読していつか必ずこの山に登ろうと心に決めていました。幸い定例山行で駒ヶ岳が2018.7.15~16日、幹事長他20名の参加で実施されました。1日目宝剣岳2日目駒ヶ岳で絶好の山日和に恵まれました。


駒ヶ岳から馬の背を暫く下ると、尾根の一部がやや幅広くなり花崗岩の白い砂地に大小の岩石が点在していました。大きな岩の前に自然石で作った碑があり、中央に「遭難記念碑」と深く刻まれ、その右側には「大正二年八月二十六日、中箕輪尋常高等小学校長赤羽長重君は修学旅行のため児童を引率して登山し、翌二十七日暴風に遭って終に死す」と書かれ、その左側には「共殪者」氏名、「大正二年十月一日、上伊那郡教育会」と刻まれていました。
※共殪者(きょうえいしゃ)・・・・共にたおれて死んだ人

碑

台風による予想外の悪天候


当時教育界は自由思想に大きく揺れ動き、事前の職員会議でも駒ヶ岳登山反対の意見が数人の教師から出ました。赤羽校長は思想的にどう揺れ動こうが体験が人間を作る基礎になるという考え方は変わらない。反対があろうが暴挙と言われようが私はこれを必ず実施する、と言って実施を決定しました。周到な準備をして高等科2年男子生徒25名、青年会員9名、引率教師3名、の37名で出発しました。何度か測候所に天候を確かめましたが異変は予想されませんでした。途中から悪化してやがて暴風雨になり、激しい風と雨は少年たちの体力を次々と奪い、11人もの犠牲者を出してしまいました。
※37名のうち11名(生徒9名、同窓会員1名、赤羽校長)が低体温症で亡くなる惨事となった。

天気図

山岳遭難の惨劇と教育のあり方


赤羽校長の死で、身をもって示した実践教育を理解する教師たちは、何としても赤羽校長の死を無駄にしたくないと考え、碑を建てるために奔走しました。死者の霊を慰めるというものではなく、将来益々盛んになるだろう駒ヶ岳登山の戒教の碑となるものを願って記念碑を建てました。
事件が一段落ついた後も、父兄や役場は「記念碑」や生徒を「共殪者」としたことに不満を抱いていました。学校予算が削られ、大正8年~11年の3年間は無校長時代、経験豊かな教師の後任には代用教員が当てられ、自由思想は放任主義(白樺派の気分教育)に陥り、窓ガラスは1枚残らず壊されるなど学校は荒廃していきました。
大正11年4月に気迫に満ちた高橋慎一郎校長が赴任、学校の再建に取り組み、大正14年7月26日、遭難以来13年目にようやく校長自らが引率して登山し、遭難記念碑に花束を捧げました。以来今日に至るまで、中箕輪尋常高等小学校高等科2年生による駒ヶ岳登山は、赤羽校長の遺訓を守り毎年欠かさず実施され遭難記念碑は風雪に耐えて、いささか動ずることもなく、夏になると必ず登ってくる中学生たちが捧げる花束に飾られています。
(鳩寿)

活動の記録 & お知らせ

足尾

足尾 植樹デーに参加

2025/04/26

日光(足尾 戸四郎沢)